ウィル・スミスさんが平手打ちした件で考えたこと
更新日: 2022-04-06 15:05:18
- 概要
- ディープフェイク動画かと思った
- 人々のコメントを見て最初に感じたのは、怖さ
- 許される暴力というのはあるのか?
- 平手打ちとはいえ、いいことをしたとは思えない
- とはいえ、ウィル・スミスさんを非難しようとは思わない
- 暴力で名誉を守るというのは何だか変な気がする
- どこからが言葉の暴力なのか?
- 自分にクリス・ロックさんを非難する資格はあるのか?
- 今の価値観では、クリス・ロックさんの発言は許されているのではないか?
- 平手打ちくらいなら大丈夫だろうという考え方は怖いと思った
- もしも、自分が暴力を使ったら損をすると思う
- ひろゆきさんの対応の仕方
- 人の容姿を揶揄することはよろしくないという価値観を作ってはどうか?
- やっぱり、暴力のない世の中が一番いい
概要
3月27日にあった米アカデミー賞の授賞式で、俳優のウィル・スミスさんがコメディアンのクリス・ロックさんの顔を壇上で平手打ちした。
平手打ちした理由は、脱毛症で悩んでいるウィル・スミスさんの妻・ジェイダさんの髪型を、クリス・ロックさんがジョークのネタにして発言したから。
また、ジェイダさんは脱毛症で悩んでいることを公言しているが、デーブ・スペクターさんによると、どうやらクリス・ロックさんはその事実を知らなかったようだ。
この件に関するツイッターやヤフーニュースのコメントを見ると、ウィル・スミスさんの行為を称賛する意見が圧倒的に多いと感じた。また、クリス・ロックさんに対しては、言葉の暴力を放った彼が悪いという意見が圧倒的だが、とはいえ、彼を糾弾したり攻撃したり叩いているという印象は持たなかった。
対して、アメリカ国内での反応は、ウィル・スミスさんの暴力に対する非難が多く、クリス・ロックさんの発言については、あまり話題になっていないように感じた。
ディープフェイク動画かと思った
最初にウィル・スミスさんの平手打ちシーンを見たときは、AIかなんかで作られた偽物の映像かと思った。それくらい衝撃的な映像だった。
人々のコメントを見て最初に感じたのは、怖さ
ウィル・スミスさんに対して「よくやった!」とか「私もそうありたい!」「素晴らしい!」みたいなコメントに「いいね」がたくさん付いていたけど、暴力を容認したり称賛するように聞こえたので「人間って怖いな」と感じた。
許される暴力というのはあるのか?
「時と場合によって暴力は許される」「平手打ちくらいならよい」という考え方が通用してしまうと、体罰やハラスメントは永遠に無くならないと思う。
暴力が許されるのは正当防衛の時ぐらいではないだろうか。
平手打ちとはいえ、いいことをしたとは思えない
私は、ウィル・スミスさんが平手打ちをしたことについて、いいことをしたとは思いません。
ウィル・スミスさん本人もいいことをしたとは思っていないからこそ直後のスピーチで謝罪しているし、インスタグラムでもクリス・ロックさんに謝罪をしています。
とはいえ、ウィル・スミスさんを非難しようとは思わない
とはいえ、ウィル・スミスさんを非難しようとは思わない。なぜなら、家族のことを揶揄されて笑い者にされれば激怒するのは当たり前だと思うから。
非難されるべきなのは、ウィル・スミスさんではなく、人の容姿を揶揄してジョークにしたクリス・ロックさんだろう。
そのジョークを言った時に会場が笑いに包まれたが、これもおかしい。笑うという事は、そのジョークに同意すという意味だからだ。(会場で笑いが起きたということは、そこに居た人達の感覚では、それがジョークという感覚だったのだろう)
暴力で名誉を守るというのは何だか変な気がする
ウィル・スミスさんに対し「家族の名誉を守る為に仕方がなかった」という意見もあるけど、暴力で名誉を守るというのは何だか変な気がする。
暴力でしか名誉が守れないとなると、例えば、気が弱くて平手打ちができない人や、相手が武装していたり複数人などで手が出せなかったという場合は、名誉が守れないということになってしまうが、そんなことはないと思う。
今回の場合は、平手打ちをせずとも言葉で訴えるという選択肢があり、それで十分だったと思う。
どこからが言葉の暴力なのか?
言葉というのは同じ言葉であっても、言う人、言い方、状況などによって受け取り方が違う。明らかな誹謗中傷は別として、何気ない一言のつもりが相手を傷付けてしまうことも有り得る。
クリス・ロックさんもこれくらいなら許されるだろう、笑いが取れるだろうと考えのかもしれない。おそらくそうだろう。
でも、受け取る側は同じ感覚かどうかはわからない。言葉の解釈やどう感じるかは、人それぞれ違うからだ。
言葉は誰もが使うコミュニケーションの道具であり、あまり厳しく縛り付けてしまうと生き辛くなるだろうし、かといって野放しではいけない。
言ってはいけないことを言ってはならないと思うけど、その線引きって誰がどう判断するのだろうと考えると言葉の取り扱いって非常に難しいなと思った。
自分にクリス・ロックさんを非難する資格はあるのか?
自分が中傷された時の気持ちを思い出してみる。私がまず思い出したのは学生時代だ。心無い言葉や態度をされたことがあり、そのことが頭に浮かんだ。腹がたって、ぶん殴ってやりたい気分になった。
しばらくすると、別のことが頭に浮かんだ。それは、小学校や中学校の時に、自分が他人に吐いた心無い言葉や態度だ。それを思い出すと、何て酷いことをしてしまったのだろうという気持ちで一杯になった。
その人は今はどうしているのだろうとか、当時のことをどう思っているのだろうと思った。もしかしたら、私のことをぶん殴ってやりたいとか、もっとひどい仕返しをしてやりたいと思っているかもしれない。
そうゆうことが頭に浮かんだ後に思うのは、自分が当時言われたことや態度に対して、なんというかどうでもよくなったじゃないけど、人間生きているうちはお互いさまというところもあるのかな、とか、自分は当時の人間をぶん殴ってやりたいとか思ったけど、私から酷い言葉を吐かれた人のことを考えると、私に怒りをぶつける権利はあるのだろうかと複雑な気持ちになった。
なんというか、もう当時のことはもういいやではないけど、怒りの気持ちがかなり和らいだ。
クリス・ロックさんは、頭髪のことを揶揄したけど、誰だって一度くらいはそのような発言や噂話をしたことがあるはずだ。
こんなふうに考えると、自分にクリス・ロックさんを非難する資格はあるのだろうか?なんて気にもなってくる。
今の価値観では、クリス・ロックさんの発言は許されているのではないか?
ジェンダさんは頭髪について悩んでおり、それを笑いのネタにするのは「許せない!言葉の暴力だ!」という声があるけれど、一方で、SNSや掲示板などを見ると「ハゲ、ブス、キモい、デブ」など、汚い言葉が溢れている。
好きでハゲている人はいないだろうし、好きでブスになった人もいないはずだ。そして、SNSや掲示板などにこれらの言葉が溢れていても、いちいち反応する人はいない。(言われた本人は別として)
だとすると、SNSや掲示板などでこれらの言葉はほぼスルーされるのに、なぜジェンダさんへの言葉にはこれだけ反応するのだろう?という気もする。
これだけ話題になっているのは、ウィル・スミスさんの知名度が高いからであり、感情的になっているだけなのでは?とも思う。
SNSや掲示板などでハゲとかブスといった言葉が書かれていてもほぼスルーされるということは、クリス・ロックさんの発言も含めて、これらの言葉は特別な言葉ではなく許容できるレベルということなのだろうか。
実際、クリス・ロックさんの発言について会場から笑いが起きたし、最初はウィル・スミスさんも口を開けて笑っていた。
平手打ちくらいなら大丈夫だろうという考え方は怖いと思った
人が暴力を使うのはどんな時だろうと考えた時に頭に浮かんだのが「キレてしまった時」
キレてしまった時というのは、怒りの気持ちを制御できない状態なので、理性的ではなく感情的に物事を判断してしまい、結果として行き過ぎた発言や行動をしてしまう可能性が高いと思う。そこが怖い。なので「ビンタくらいならいいだろう」という判断は危険な考え方だと思った。
話がずれるかもしれないが、東名高速道路で煽り運転をして男女2人を死亡させてしまった事件があったけど、加害者の男はカッなってしまったとはいえ「煽るくらなら大丈夫だろう」という判断があったのかもしれない。しかし、悲劇になってしまった。
他にも、ちょっとどついたら相手が転倒して頭に大きな障害を負わせてしまったというようなニュースは時々目にする。
ウィル・スミスさんも、パンチではなくビンタなら大丈夫だろう、という判断が働いたのかもしれない。しかし、その結果、今後の仕事など大きなものを失うかもしれない。
デンゼル・ワシントンさんが「最高の瞬間こそ気をつけろ。そういう時に悪魔はやってくるんだ」とウィル・スミスさんに助言したそうだが、「これくらいなら大丈夫」という考えが、まさに「悪魔からの囁き」なのだろうと思った。
もしも、自分が暴力を使ったら損をすると思う
もしも、自分が暴力を使ったら職を失うかもしれないし、その結果、生活が大きく変わってしまうかもしれない。名前が報道されれば次の仕事が見つからないかもしれない。
感情的になって手を出したり、言ってはいけないことを言ってしまうようと、多くの場合「損」をすると思う。そうなった時に、それでも「平手打ちするべきだった」「平手打ちしてよかった」と思うだろうか?
ひろゆきさんの対応の仕方
以前、勝間和代さんとひろゆきさんの対談番組で、勝間さんのある発言に対してひろゆきさんが「それは失礼ですよね」と返した。
ひろゆきさんは、感情的になることなく理性的に自分の気持ちを表現したのだ。
結果として勝間さんはネットでかなり叩かれてしまったようだ。この時のひろゆきさんの対応は適切な対応だったと思うし、紳士的に見えた。
人の容姿を揶揄することはよろしくないという価値観を作ってはどうか?
言葉を法律で縛り過ぎるのはどうかと思う。
ではどうしたらよいかと考えると、時間は掛かるかもしれないけど「人の容姿を揶揄することはよろしくないという価値観・文化」を作るのがよいかもしれない。
例えば「他人を揶揄する発言をした者は、周りからの評価を落とし、結果として自分の首を絞めることになる」といったように。
多くの人がそういった価値観を持てば、仮にあのジョークが飛び出した時にブーイングする事もできるし、笑わないという選択肢も取れたはず。
笑わないということは、ウィル・スミスさん側に寄り添うことになるので、ウィル・スミスさんも平手打ちをしなくても済んだかもしれない。
また、会場のほとんどの人が笑わなければ、会場の雰囲気が変わるだろう。そうなれば、クリス・ロックさんも自らの過ちに気付くだろうし、その場で謝罪するチャンスもあったはずだ。
やっぱり、暴力のない世の中が一番いい
何気ない一言のつもりが、相手からいきなりビンタをされ、それが許される世の中になってしまうのはとても怖いと思う。だから、暴力は絶対に反対だ。