映画「ロープ 戦場の生命線」を見て
更新日: 2022-05-02 16:46:16
映画「ロープ 戦場の生命線」
2016年 1時間45分
原題「A PERFECT DAY」
自動翻訳すると「完璧な日」
1995年、停戦直後のバルカン半島が舞台。井戸に投げ込まれた死体を引き上げるべく「国境なき水と衛生管理団」の5人のメンバーが奔走するもロープすら手に入らない…。
感想
戦争の残酷さとか、そこで暮らす人々の悲惨さを描いた作品なのかと思いきや、それとはちょっと違っていて、ラストで笑みがこぼれた。
戦争の当事者には申し訳ないが、なんだかほっとした気持ちになった。
ふと思ったのは…
国連軍の基地には装甲車も食料も生活の基盤も整備されているのだから、ロープくらいあるのでは?と思ったり、そもそも切れたロープを結んだら使えるのでは??なんて思った。
国連軍は細かなところまでは手が回らない
国連には国連のルールがあるのかもしれない。しかし、死体を引き上げようにも協力してくれないし、自分達で引き上げようとしたら、死体を移動させるのは違法だからといって止めさせるなど何だかなぁという気分になる。
他にも、武装解除したはずなのに、現地の兵士が居残っていて捕虜が拘束されたままになっているし。
ただ、国連軍の責任者が言っていた「我々は部外者だ」というのもそれはそれでうなずける。
何が正しいのか?
やっと入手したロープを使ってあともう少しで死体を引き上げることができたわけだけど、あの場合は、そのまま引き上げるのが正解なのか?それともルールに乗っ取ってそのままにしておくのが正解なのか?
死体を引き上げた方が現地の住民には助かるはず。とはいえ、現場の判断で勝手なことをしたら、ルールは何のためにあるのか?ということにもなってしまう。
現地の人の強さ
装甲車で武装した国連軍を横目に地雷原を渡っていく現地の牛飼いの女性や、爆発物が仕掛けられた牛の死骸で足止めされた主人公の車の横を無防備なまま歩いていく牛飼いの女性など、戦争に慣れてしまったというのか、とにかく現地の人は強いし、国連軍や主人公達が滑稽に見えてしまう。
原題「A PERFECT DAY」の意味
A PERFECT DAY とは「完璧な日」
主人公達は井戸に落とされた死体を引き上げようと奔走するも、あと一歩というところで引き上げることができなかったし、おまけにその後はトイレの詰まりを修理しなければならないという散々な目に合うことに。
この散々な一日を皮肉って「完璧な日」というタイトルが付けられたのかな?
それとも、雨が降ったことで井戸の水が溢れて死体を引き上げることができたので「完璧な日」というタイトルが付けられたのかな?
なんとかなるさ
あれだけ苦労しても死体を引き上げることが出来なかったのに、雨で増水した井戸から村の住人が力を合わせて死体を引き上げることができた。
現地の兵士に捕虜として拘束されていた人々も国連軍によって解放されたようだ。
ラストは、めでたしめでたしという感じか。
結局のところ、この作品から感じたことは「なんとかなるさ」ってことかな。
まあ、これは戦争当事者ではない部外者だから言えることなのかもしれないけど。
でも「なんとかなるさ」と、ラストの明るい曲で何だか気持ちが楽になって笑みがこぼれた。
何もせずに「なんとかなるさ」は「いいかげん」でダメだし困るけど、やれることをやった上での「なんとかなるさ」は有りだと思うし、もうそれしかない。