映画「ブレイン・ゲーム」を見て
更新日: 2022-04-18 02:03:54
映画「ブレイン・ゲーム」
2015年 1時間41分
原題「Solace」
自動翻訳すると「慰め」「癒やし」
連続殺人事件の捜査にあたるジョーとキャサリンは、ジョーの元同僚で現在は引退しているジョン・クランシー博士に捜査の協力を依頼する――博士は人の未来や過去を見ることができる特殊な能力を備えていた。そして犯人も…。
感想
あっと驚くラストとかはなくて、穏やかな気持ちのまま見終えた。
苦痛を伴う病死と痛みを伴わない殺人という構図になっていて、その先には安楽死という重いテーマがあると思うのだけど、ミステリーとかサスペンスの要素がそれを薄めてしまっているような気がしたので、そこが残念。
羊たちの沈黙とセブンを合わせたような作品
キャサリン捜査官がジョン・クランシー博士の宿を訪ねるシーンは、映画「羊たちの沈黙」でクラリス捜査官が収監中のレクター博士を訪れるシーンを連想させる。
また、猟奇殺人現場に残された血液で描かれた壁画のシーンは、映画「羊たちの沈黙」の腹を切り裂かれた警察官が吊るされているシーンと重なった。
さらに、猟奇殺人犯について、事件とは無関係と思われる近所の人が実は犯人であったという点と、捜査官から銃を向けられているのに犯人が上手い具合にそれをかわして逃走する点が、映画「羊たちの沈黙」でクラリス捜査官が犯人と遭遇するシーンを連想させた。
ラストの列車内で犯人のチャールズが両手を広げて十字架のようになるシーンは、映画「レッド・ドラゴン」で背中の刺青を見せながら両手を広げるシーンと重なった。
Wikipedia によると、本作の脚本は映画「セブン」の続編として執筆されたものであったが、続編の企画が頓挫したために、独立した作品として製作されることになった、とある。
なるほど、不可解な連続殺人は映画「セブン」を思い出させるし、ラストでの犯人の行動についても、捜査官に撃たれて死ぬことを画策するという点が映画「セブン」と同じですね。
憎めない犯人
犯人であるチャールズ・アンブローズには人の未来が見えるという特殊な能力があり、例えば、ある人が苦痛を伴いながら病気で亡くなっていく姿を予見することができた。
彼は、苦しんでいる人の姿に耐えることができず、その人の同意を取らずに痛みを感じさせない方法で連続殺人を犯していた。
もしも、自分が被害者の立場だったと想像すると、長期に渡ってベッドの上で苦痛に悶え苦しんで死を迎えるよりも、苦痛なく死んだ方がいい。
被害者が希望しているわけでもないのに勝手に殺すのは許されないことだけど、犯人に対する怒りの感情は抱かなかった。
むしろ、痛みに苦しむ人の姿が次から次へと見えてしまう犯人に同情してしまった。
ジョー捜査官の死について「病死よりも殉職の方が残された家族にとっては良かったはずだ」という犯人のチャールズのセリフもなんだか納得してしまった。
猟奇殺人犯に撃たれたジョー捜査官が病院のベッドの上で「君がそばにいると和む」とジョン・クランシー博士に言っていたけれど、犯人のチャールズも、苦痛を伴う病気から解放する(和ませる)存在なのかもしれない。(許されない考え方だろうけど)
ジョン・クランシー博士も娘を…
ラストシーンにて、ジョン・クランシー博士の過去が明らかになる。
博士の娘は白血病で苦しみながら亡くなったとされていたが、実は、博士が薬物を使って安楽死させていたのだ。(しかし、娘の同意を得ていたと思うけど)
ジョン・クランシー博士が娘の死後に職を離れた理由は、娘を安楽死させたことの苦しみや悲しみ、そして殺人とまでは言いたくないけど、一線を越えてしまったという罪悪感もあったからでしょうか。他にも、人の死に触れたくないという気持ちもあったのかもしれません。
犯人であるチャールズ・アンブローズと同じように、ジョン・クランシー博士にも同じ過去があったわけですが、いいことをしたとは思いませんが、かといって、悪いことをしたとも思えませんでした。
犯人のチャールズとクランシー博士との対比構造
犯人のチャールズ・アンブローズもジョン・クランシー博士も、人の未来が見えるという特殊な能力を持っている。
犯人のチャールズ・アンブローズは、痛みながら死んでいくという苦痛から解放してあげる為に殺人を繰り返したが、ジョン・クランシー博士はその能力を捜査に活用したり、キャサリン捜査官が撃たれるのを阻止したりと命を助ける方に使った。なので、二人の関係は対比構造になっているなと思った。
ジョーク
ジョー捜査官が「街一番の店へ行こう」といってジョン・クランシー博士を屋台に誘うジョークや、銃撃されてベッドに寝ているジョー捜査官に対して「器具を外そうか?」というクランシ―博士のジョークが効果的に使われており、それが作品のメリハリ感・リズム感になっていてよかった。
CG
CGが随所に使われており、そのクオリティも自然でよく出来ていた。
印象に残ったのは、分身の術みたいに同じ人物が複数人現れるという映像。これは、クランシ―博士が立体駐車場で犯人のチャールズを追跡するシーンや、赤いドレスの被害者が浴槽に入るシーンで使われていた。
他に、駅のホームで時間が止まったシーンや飛び交う銃弾がスローモーションになるシーンも印象的。
ラストでのクランシ―博士の解釈
クランシー博士は、娘を安楽死させたことについて心の中ではまだモヤモヤが残っているものの、疎遠になっていた妻のエリザベスとよりを戻して再び前向きに生きていこうとしたのだな、と解釈した。
犯人のチャールズが後継者としてクランシー博士を指名したことについて
犯人のチャールズ・アンブローズは自身の後継者として、同じ能力を持つジョン・クランシー博士を指名した。
しかし、博士が後を継ぐとは思えない。ではなぜ、博士を指名したのだろうか??
それとも、犯人のチャールズは博士が後を継ぐという未来を見たのか??
あるいは、病で苦しむ人が見えてしまうという自身の苦しみを分かち合えるジョン・クランシー博士に殺してもらいたかっただけなのか?
その他のわからなかったところ
- ジョン・クランシー博士に捜査協力を求めることについて、キャサリン捜査官は反対していたのに、ジョン・クランシー博士の家を訪ねた際は乗り気だったような気がする。なぜ気が変わったのか?
- ジョン・クランシー博士が最初に行った被害者(癌であった可能性のある女性)の住居を出た際に意味深な表情をしていたように見えたし、ジョー捜査官もそれを指摘していた。だとすると、ジョン・クランシー博士は何を見たのか??
- 犯人のチャールズ・アンブローズは、猟奇殺人者を使ってジョー捜査官を銃撃させた。なぜ、チャールズ自身が手を下さなかったのか?ジョー捜査官は末期癌だったのだから、彼が殺してもよかったはずだ。
その他
- この作品では予言のような特殊な能力を使って捜査をするわけだが、羊たちの沈黙のレクター博士のように証拠や状況から犯人を分析するという手法の方が魅力的だった。なぜなら、超能力だと何でもありになってしまい、そういったものは好きではないから。
- 超能力で捜査をするという物語ではあるが、作品が安っぽくならなかったのはいいところ。
- ジョン・クランシー博士と娘のエマだが、親子というより、祖父と孫に見えてしまった…。
- 猟奇殺人犯に銃撃されたジョー捜査官が「まだ生きたい」とベッドの上からクランシ―博士に語りかけるシーンは泣ける。
- 施錠されているはずのドアを捜査官が蹴っ飛ばすだけで開いてしまうのはおかしい。
- ジョー捜査官がニコチンタブレット?を噛んでたのは、自身が末期癌に侵されているからだったのですね。
- ジョン・クランシー博士が捜査に協力する気になったのは、自身が以前から見ていた予知夢と事件に関係があることを感じたからなのでしょう。
- ジョン・クランシー博士が殺人現場で浴槽や証拠品を素手で触れていたが、手袋を嵌めなくてもよいのか?と思った。
- 羊たちの沈黙では、何もかもを見透かしているレクター博士だったが、この作品では、何もかも見透かされているジョン・クランシー博士という対比構造を感じた。
- 女性被害者の衣服の匂いを嗅いで警察犬が犯人を追うシーンですが、10人近くの捜査員が犬の後を付いていくシーンはなんだか滑稽。
- 猟奇殺人犯を追い詰める際、防弾チョッキを付けているのに、ヘルメットを被っていないのはおかしいかも??(ヘルメットを被るのは特殊部隊とかスワットの隊員のみなのかな?)
- 猟奇殺人犯を車で追い詰める際、ジョン・クランシー博士は特殊能力を使って犯人の行動を先読みしていたし、キャサリン捜査官が列車内で撃たれることも予見していた。他にも車が横転した際に自身が猟奇殺人犯に撃たれることも予見できた。しかし、ジョー捜査官が死ぬことは予見していたようだが、猟奇殺人犯に撃たれることは予見できなかった。これは不自然かも??
- 犯人のチャールズ・アンブローズを駅で見かけたという警官からの無線報告が入り、その情報をもとに次の駅で先回りして犯人確保を目指したわけだけど、犯人であるチャールズ・アンブローズが登りと下りのどちらの列車に乗り込むかどうしてわかったのかが不明。
- 断片的に映し出される十字架や、犯人のチャールズが列車内で十字架になるシーンは神を連想させた。しかし、この映画は神とは関係ないような…。
- ジョー捜査官は、アイアンマンを演じたロバート・ダウニー・ジュニアに似ていた。
- 犯人のチャールズ・アンブローズは、映画「フォーン・ブース」の主人公を演じていた俳優さんだった。また、眉毛が太いせいもあってか、映画「サイコ」のノーマンに似ていた。