東野圭吾「素敵な日本人」を読んで
正月の決意
初詣に出かけた夫の達之と妻の康代は、賽銭箱の前で倒れていた町長を発見する…というお話。町長が倒れていた理由が明らかになった後に、もう一つの驚きの展開が明かされる。
広い視野を持つ事が大事だと思いました
仲の良い幸せそうな夫婦ですが、ラストで明かされたこの夫婦は、経営難から工場を閉鎖していて、返せる見込みのない借金があり、おまけに抵当に入っている家も失う事になるという絶望的な状況でした。
ずっと真面目に生きてきたという夫妻ですが、真面目がゆえに自殺という選択肢を選んだのでしょう。初詣というと、その年の始まりのはずなのに、この夫婦にとっては最後のお別れみたいで悲しくなります。自殺を選んだのは良くないと思いますが、真面目な夫婦である達之と康代らしい選択だなと思いました。
しかし、物語の中に登場してくるいい加減な刑事や宮司たちを見て、自殺する事が馬鹿馬鹿しくなって「もう一度がんばりましょう」という気持ちを取り戻す事ができました。
自殺という選択肢を選んでしまったのは、借金や経営などで苦しい事が続き、自分達の価値観や考え方の「視野」が狭くなってしまったからではないかと思いました。
いい加減な刑事たちも、新年会の事で視野が狭くなっていたのかもしれませんね。視野が狭くなっていたから、康代に指摘されるまで神社の奥を捜索する事に気付かなかったのでしょう。
達之と康代は、生きる事にしたとはいえ、これからどうなるのでしょうか?お金の事を考えると気が重くなりますが、でもまあ、死ぬことはないでしょう。二人仲良く暮らしていける事を願うばかりです。
苦しかったり辛い時こそ「視野」が狭くならないように意識したいものです。
十年目のバレンタインデー
別れた恋人から手紙が届き、十年ぶりに再会することになったある作家のお話。
峰岸の秘密や、元恋人が再会を求めてきた理由など読者を飽きさせない短編作品で、ソムリエや客が正体を明かす場面は、映画を見ているような感覚になりました。
読み終えた後にふと思ったのは、レストランを貸し切って容疑者を誘い出し、ジワジワと追い込んでから逮捕をするなんて、そもそも上司が許可をするものだろうか??なんてことも思いました。とはいえ、読んでいる最中に不自然さを感じさせないところが著者の技術なのでしょうね。
峰岸について
峰岸という男は、小説を書く事が好きなのではなく、褒められたり認めてもらいたかっただけではないかと思いました。なぜなら、ベッドの上で語った小説の構想は絵美から盗んだものであるし、盗作の作品で賞を取ろうとしたからです。つまり、峰岸という男は安っぽく、薄っぺらい男であると思いました。
殺人容疑で逮捕状が出ているが、有罪にできるのだろうか?
絵美が生存中に書いた最後の文章が盗作に使われている事から、絵美が亡くなった日に峰岸が一緒に居たという事は証明できるかもしれないけど、それで殺害まで証明する事はできるのだろうか??しかも、10年以上前に自殺として処理されているのに…。それに、峰岸という男は、公判で否認するかもしれませんね…。
今夜は一人で暇祭り
名家に嫁ぐ一人娘を心配する父親のお話。
亡くなった妻は、姑との関係にストレスを抱えていたのではないかと思う三郎だったが、実はそうでもなかったかもしれないという事が雛人形の飾り方から明らかになります。
厳しい姑とはいえ、どうやら奥さんはうまくやっていたようで、そうだとすると、なんだか心がほっと温かくなった。
いろいろ辛い事があっても、気持ちの持ちようというか、解釈の仕方というか、取り組み方で何とかなる場合もあるのだなと思った。
雛人形の飾り方をこっそり変えていただけの事なんだけど、それだけで「奥さんは大変だっただろうな」という印象から「どうやらうまくやっていたみたい」という印象にガラリと変わってしまうところが不思議ですね。
きっと、娘さんも嫁ぎ先でうまくやっていけるだろう。そんな気持ちになりました。心が温かくなるとてもよい短編。
君の瞳に乾杯
旧友からの誘いで合コンに参加した内村は、そこでアニメ好きのモモカと親しくなる…というお話。ラストで、モモカと内村についての事実が明らかになる。
アニメ以外の話題は全てNGで、それ以上の関係になるつもりもないというモモカの態度を見ていると、孤独というか冷たさというか覚めた感じというか、そういったものを感じました。心の闇みたいなものでしょうかね。
カラーコンタクトを外したモモカの目を見ただけで正体に気付くという展開には驚かされますが、同時に「そんな事有り得るの?」とも思いました。
レンタルベビー
人間そっくりの赤ちゃんロボットをレンタルし、疑似子育てを体験するエリーのお話。
どんなラストが待っているのかと思ったら、そういう結末だったのですね。夜にも奇妙な物語というか、ブラックジョークというか(笑)
実はアキラもロボットなのでは?と想像しましたが、アキラは人間のレンタル家族だったんですね。
読んでいて不思議なのは、ロボットの赤ちゃんなのに、本当の赤ちゃんのような気持ちになりました。
壊れた時計
闇のアルバイトを請け負った男の話。
被害者が早退しなければ殺人事件にはならなかっただろうし、時計が壊れていなければ、余計な修理で手掛かりを残す事にもならなかったわけすから、男にとっては運が悪かったですね。
ちょっとしたミスが命取りになってしまったわけで、ヒッチコック劇場のショートムービーを観終わった時の感覚になりました。
しかし、考えてみれば、そもそも腕時計の時刻なんて気にする必要はなかったはずです。なぜなら、腕時計の時刻がどうであれ、男と被害者には何の接点も証拠もないので、男が捕まる可能性は限りなくゼロだったはずです。しくじってしまいましたね。
時計の修理さえしなければ…という男の項垂れた姿が頭に浮かびました。
サファイアの奇跡
神社に住み着いている野良猫「イナリ」と美玖のお話。
物語の前半では、小学生時代の美玖とイナリの交流が描かれ、微笑ましく、ほのぼのとした気持ちになりました。マシュマロしか口にしないイナリの生意気なところや、彼のマイペースに振る舞う姿が頭に浮かんで可愛かったです。(イナリがマイペースな性格であるというのは、私の勝手な想像です)
ラストシーンで気になったのは、仁科さんから譲り受けたサファイア(イナリ)を放し飼いにしていたことです。イナリは過去に交通事故を経験しており、放し飼いは危険ではないかと思いました。また、イナリに交配させて交配料を稼いでるという文を読んだ時、少し残念な気持ちになりました。
クリスマスミステリ
無名だった俳優の「黒須」は、大物脚本家の「樅木弥生」と恋仲になった事で、仕事も知名度も手に入れる事ができました。ところが、他に好きな女ができてしまい、弥生の存在が邪魔になってしまいます。もしも弥生と別れるような事になったら、業界から干されてしまうのは避けられません。そこで黒須は、弥生が密かに持っているという「マンドラゴラの毒」を使って弥生の殺害を思いつく――。というお話。
樅木弥生について
黒須のことを本気で愛していた
結局のところ、弥生は黒須という男がどんな男であるかを全て見抜いていたが、それでも本気で愛してしまったのだと思いました。そして、本気で愛してしまったからこそ、弥生は死を選んだのだと思いました。
見抜いていたと思う
弥生は、黒須がどんな男であるかを見抜いていたと思うので、黒須の新しい女についても、以前から気付いていたと思います。そして、それだけではなくて、黒須がいずれ殺害を考える事も先読みしていたと思います。
マンドラゴラの毒で黒須の殺意を試した
弥生がマンドラゴラの毒の話を黒須にしたのは、自分への殺意を試す為だったのでしょう。なので、マンドラゴラの毒は、本物の毒薬ではなかったと思います。なぜなら、本物の毒薬であれば青酸化合物を用意する必要がないからです。
パーティーの前
毒薬が減っている事に気付いた弥生は、黒須の殺意を察知し、パーティーの前後の時間を使って自身の計画を実行することにしたのでしょう。
パーティーの前に黒須を自宅に招いたのは、黒須の指紋を室内に残す為ですが、それだけではなくて「本当に自分を殺害しようとするか確かめたかった」というのもあったと思います。
黒須に殺人罪を着せて陥れようとした弥生ですが、愛した人が自分を殺そうとした現実に、弥生は怒りよりも悲しみの方が大きかったのではないでしょうか。
パーティーの後
パーティーの後に自宅までやってきた黒須を室内には招き入れず、出窓を挟んで携帯電話で別れ話を持ちかけたのは、会ってしまうと決心が揺らいでしまうかもしれないと語っていましたが、それは事実であると思いました。
黒須について
黒須という男は、弥生との関係が公然の秘密になっていることや、女の存在が弥生にバレている事にまったく気づいていません。そして、弥生から本気で愛されているという事にも気づいていなかったと思います。
当然ながら、弥生を殺す計画も見抜かれており、逆に罠に嵌ってしまいました。全てを見抜いていた弥生とは対照的に、何も見えていなかった黒須が薄っぺらいです。
なぜ、ワインボトルに青酸化合物を入れたのか?
水滴の付いたワイングラスを食器棚に置いたのも、指紋を拭きとった痕跡を残したのも、黒須の指紋が出窓に残るよう工作したのも「黒須に毒を盛られて殺された」と見せかける為です。それなのに、ワインボトルに毒物を混入してしまったら、二人とも死んでしまう事になります。すると「なぜ黒須だけ生き残ったのか?」という疑問が残り、おかしな事になってしまいます。
ワインボトルに毒物を混入すると、二人とも死んでしまうはずなので「無理心中」みたいですよね。でも、無理心中を装うつもりはなかったはずです。
ではなぜ、弥生はワインボトルにも青酸化合物を入れたのでしょうか?
無理心中するという選択肢も考えていた?
「他殺に見せかけた自殺」にするか、それとも「黒須と無理心中」するか、ギリギリまで迷っていたという可能性です。
しかし、そうだとすると、ワインボトルに毒を混入したのだから、無理心中を選択したという事になってしまいます…。これだと矛盾してしまいますね。
黒須が無理心中を試みた、というシナリオを狙ったのか??
もう一つのシナリオは「黒須が無理心中を試みたが、直前で怖くなった為、自殺に見せかけて逃げた」と思わせようとした可能性です。
これだと、話が複雑になるし、黒須に殺人罪を着せるよりも柔らかい感じになってしまうので、しっくりしませんね。
しかし「無理心中をするほど黒須から愛されていた」と世間に思わせる事で弥生自身のプライドが守られると考えたのかもしれません。だって「他殺に見せかけた自殺」を選択した場合は「男を取られて邪魔になって殺された」という事になってしまいますから。
また「無理心中」であれば「黒須という男は、怖くなって自分だけ逃げ出した」という負のイメージで社会的なダメージを与える事もできます。そうすれば、芸能界では活躍できなくなるでしょうから。
水晶の数珠
役者になる夢を父親に反対され、確執を残したまま海外で夢を追う直樹のお話。
直樹の夢に反対していた父親の真一郎ですが、たった一度しか使えない水晶の数珠を使い、直樹の夢を応援してくれたのですね。応援というよりも、邪魔だけはしたくなかったのかも??
一度は諦めた夢ですが、父親の行動を受け、再び夢に向かって力強い一歩を踏み出した直樹が頼もしく見えました。
一方で、どんな親でも真一郎と同じ状況になれば、同じ事をしたのではないかとも思うし、俳優になる夢も厳しいのでは…とも思った。