江戸川乱歩「芋虫」を読んで
公開日: 2021-07-22 17:55:21 (966文字)
更新日: 2021-07-22 17:54:43
更新日: 2021-07-22 17:54:43
この短編小説を読むのは2回目で、その感想。
2回目なので、初めて読んだ時ほどの衝撃はなかったです。でも、とにかく凄まじい話です。江戸川乱歩という人は、いつもこんなことを想像していたのでしょうか?
初めて読んだ時は、障がいを持っている人や介護されている人が読んだら、気分を悪くする人もいるのではないかと思った。
時子について
時子は、夫の世話をしているうちに、自身の中の凶暴な何かが目覚めてしまったのであろうか?あるいは、介護疲れのように心が疲れ切ってしまい、思わず夫の目を潰すいう行動をとってしまったのであろうか?夫と妻の二人だけの世界で、社会から孤立している環境も影響しているかもしれない。
夫の描写について
夫の描写について、差別的な言葉や、まるで人間ではない別の生物のように描かれているものの、夫は戦争で大怪我を負った人間なので、そういった感情は沸かない。
夫の気持ち
両手両足を失い、言葉も話せず、耳も聞こえない。治る見込みもない。その上、妻である時子に目を潰され視力を奪われてしまった。今まで時子がいたから生きてこられたが、その時子もおかしくなってしまったようだ。時子が変わってしまったことで、自分を責める気持ちになってしまったのかもしれない。そして、何もかもが嫌になり、生きる希望を失ってしまったのであろうか?「ユルス」と書き残した夫は、きっと部下からも慕われるような立派な人物だったのでしょう。
夫は、目の見えない体で鉛筆を見つけ、口を使って文字を書く事は可能なのか?とか、梯子段を自力で降りて、古井戸まで自力で移動することは可能だったのか?というのもありますが、読んでいる時は、内容の凄まじさの方に気を取られるので、あまり不自然さは感じない。
最後の一文
夫が古井戸に身を投げた直後、「芋虫が枝先から落ちる光景を幻に描いていた」とは、「世話をする生活がやっと終わった」、「一区切りついた」という、「少しほっとしたような気持ち」を現しているのでしょうか。あるいは、身を投げた夫に対し、「枝から落ちる芋虫」が頭に浮かぶということは、時子の中にある残虐とか醜い部分を表しているのでしょうか。
巻末の解説
巻末の解説によると、江戸川乱歩が「芋虫」という作品を書いた理由は、反戦とかそういった意図の為ではなく、苦痛と快楽と惨劇を書きたかったのだそうだ。
2回目なので、初めて読んだ時ほどの衝撃はなかったです。でも、とにかく凄まじい話です。江戸川乱歩という人は、いつもこんなことを想像していたのでしょうか?
初めて読んだ時は、障がいを持っている人や介護されている人が読んだら、気分を悪くする人もいるのではないかと思った。
時子について
時子は、夫の世話をしているうちに、自身の中の凶暴な何かが目覚めてしまったのであろうか?あるいは、介護疲れのように心が疲れ切ってしまい、思わず夫の目を潰すいう行動をとってしまったのであろうか?夫と妻の二人だけの世界で、社会から孤立している環境も影響しているかもしれない。
夫の描写について
夫の描写について、差別的な言葉や、まるで人間ではない別の生物のように描かれているものの、夫は戦争で大怪我を負った人間なので、そういった感情は沸かない。
夫の気持ち
両手両足を失い、言葉も話せず、耳も聞こえない。治る見込みもない。その上、妻である時子に目を潰され視力を奪われてしまった。今まで時子がいたから生きてこられたが、その時子もおかしくなってしまったようだ。時子が変わってしまったことで、自分を責める気持ちになってしまったのかもしれない。そして、何もかもが嫌になり、生きる希望を失ってしまったのであろうか?「ユルス」と書き残した夫は、きっと部下からも慕われるような立派な人物だったのでしょう。
夫は、目の見えない体で鉛筆を見つけ、口を使って文字を書く事は可能なのか?とか、梯子段を自力で降りて、古井戸まで自力で移動することは可能だったのか?というのもありますが、読んでいる時は、内容の凄まじさの方に気を取られるので、あまり不自然さは感じない。
最後の一文
夫が古井戸に身を投げた直後、「芋虫が枝先から落ちる光景を幻に描いていた」とは、「世話をする生活がやっと終わった」、「一区切りついた」という、「少しほっとしたような気持ち」を現しているのでしょうか。あるいは、身を投げた夫に対し、「枝から落ちる芋虫」が頭に浮かぶということは、時子の中にある残虐とか醜い部分を表しているのでしょうか。
巻末の解説
巻末の解説によると、江戸川乱歩が「芋虫」という作品を書いた理由は、反戦とかそういった意図の為ではなく、苦痛と快楽と惨劇を書きたかったのだそうだ。