山本周五郎「山だち問答」を読んで
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青空文庫で無料で読めます。(16,425文字)
武士である郡玄一郎は、山賊集団に囲まれて身ぐるみを剥がされてしまう。その結果、町中の笑い者になり、縁談が破断し、家来も去ってしまった…。それからしばらく経ったある日の事、武装した野武士集団が城下に踏込んで来る。早速、応戦に向かう郡玄一郎だが、その野武士集団というのは、かつて玄一郎を襲った山賊集団であった…。
感想
めっちゃいい話。郡玄一郎を発見した野武士たちが武器を捨てて家来を申し出るシーンは、胸が熱くなった。家来が一気に15人も増えたし、小雪も妻になったし、応援したくなる。
郡玄一郎
山賊との約束を守り、山道を再び戻って来て衣服を置いていくというのはなかなかできることではない。彼には彼のルールがあり、それに従っての行動なのだろう。そういう「自分」というものを持っている郡玄一郎という人物は、やはりかっこいいと思う。
決めつけやレッテル
小雪は、周りからの決めつけやレッテルで縛られてしまい、自分自身を出すことができなくなってしまった。
人に対して決めつけやレッテルを張るということは、相手を縛る行為であると認識するべきで、気を付けなければいけませんね。
また、噂話が事実だとしても、それはその人の一面でしかないので、それだけでどんな人物であるかを決めつけることもよろしくない。
どう生きるべきなのか?
山賊達が郡玄一郎の家来を申し出た時は、心の底から何かが沸き上がってくるものを感じた。最初は、郡玄一郎の生き方に心を打たれたのかと思ったけど、そうではなくて、噂話で笑い者になったり、縁談がダメになった時に、山賊が家来になったことで「一発逆転」したからではないかと思う。なんか「スカッ」とした感じ。
郡玄一郎のように、真っ直ぐで素直に生きた方がいいのだろうかと考えたけど、どのような生き方を選んだとしても、それが良かったかどうかは、後になってからでないとわからない。
例えば、郡玄一郎にしても、上着を貸してあげた時に小雪が何とも思わなければ結婚には至らなかったかもしれないし、山賊の件にしても、玄一郎の行動に山賊が心を打たれなかったら家来にはならなかったかもしれないし、そうであれば、ずっと情けない男というレッテルを張られたままだったかもしれない。それに「運」要素もありますね。
郡玄一郎はかっこいいなとか、彼のように生きてみたいなんて思ったけど、それは最後で山賊が家来になったり、小雪と結婚ができたから。
もしも、笑い者のまま出世も結婚もできないで一生を終えていたら、同じ気持ちにはならなかったかもしれない。
生きるというのは選択の連続だけど、その結果の良し悪しは未来にならないとわからない。結局は自分自身を信じて生きるのがベストであり、それしかないように思う。