山本周五郎「おれの女房」を読んで
更新日: 2022-04-03 19:30:22
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青空文庫で無料で読めます。(23,483文字)
スランプに陥ってしまった絵師の又五郎は、その苦しみを酒と女で紛らわせていた。やがて、生活は困窮し、妻のお石にも出ていかれてしまう。それから数年後、放浪の旅を経た又五郎は絵師として大成功を収める。すると、その噂を聞いたお石が再び妻として迎えてもらえないかと又五郎の屋敷を訪ねてくる…。
感想
スランプの苦しみを酒や女で紛らわすということ
スランプに陥ってしまった又五郎は、酒や女に走ってしまった。苦しみは辛さはあるだろうが、これでは逃げているだけで何も解決しない。時間とお金の無駄だと思う。
苦しくても辛くても、それでもコツコツと続けるしかないと思う。(気分転換に旅行をするとか、新たなことを始めるというのもいいことだと思う)
スランプになってしまった時の思想
スランプに陥ってしまい、自分の理想とする絵が描けなくなってしまった又五郎。その時の又五郎は、自分は正しくて、世間は間違っているという考えになってしまった。これは、とても危険ではないかと思った。
なんというか、自分を信じることは大切だと思うのだけど、先鋭化というか、あまりに偏った方向に進んでしまう危険性を感じた。例えば、オウム真理教とか、あさま山荘事件のように。
なぜ危険かというと、間違った方向に進んでしまった時に、その間違いに気付くことなく、あるいは間違いを認めることができなくなり、そのまま突き進んでしまうから。少しは自分を疑う気持ちも持ちつつ、世間の声にも耳を傾けている。そんなバランスが必要だと思った。
放浪の旅に出た又五郎
絵が描けず、妻にも愛想を尽かされてしまった又五郎は放浪の旅に出ます。この放浪の旅で、様々な人に出会ったり、様々な職種を体験するわけですが、これが、後の又五郎にとって、気分転換というか、よい刺激になったのだろうと思いました。
吉野敬介さんのエピソードを思い出した
予備校講師で有名な吉野敬介さんのエピソードを思い出した。
大学を出ていないことを理由に彼女にふられてしまい、その悔しさから猛勉強をして見事大学を卒業し、そこそこ稼げる仕事にも就くことができたらしい。そんな時のこと、彼の前に元カノが現れた。そして、よりを戻したいと言ってきたそうなのだが、吉野敬介さんは「ふざけるな!」とふったのだそうだ。(細かいところは違うかもしれないが、だいたいこんな感じ)
大学に出ていないから離れていったのに、大学に出てそこそこ稼げるようになったら戻ってくる、というのはこの作品と似ている部分があると思いました。
又五郎の場合はどうか?
吉野敬介さんのエピソードの場合、元カノに対して「バカにするな」という気持ちは理解できます。
しかし、この作品の又五郎の場合はどうでしょうか。奥さんが出て行った理由について、又五郎が悪いですよね。だって、お金が無いのに自分だけは酒を飲んで家を空け、おまけに女遊びまでしているのですから。気に入らないからといって、絵を売ることを拒んだり。最後にはお石に暴力も振るってしまったし。
一方、お石の場合はどうでしょうか。お石が又五郎の屋敷を訪ねて来るのは勇気のいることだったろうし、恥を忍んでというような気持もあったはず。ただ、又五郎が裕福になったら戻って来るというのは、ちょっと引っ掛かりました。
それを考えた時、自分ならどうしただろうかと想像してみると、微妙ですかね。どう思うかは、その時になってみないとわからない。
そもそも、又五郎がお石を迎えに行くべきだったと思う
又五郎は、妻の「お石」が戻って来てくれたのが嬉しかったのでしょう。でも、それならば、又五郎がお石を迎えに行くべきだったと思いました。
又五郎は、なぜお石を迎えに行かなかったのか?
放浪の旅を終え、満足のいく絵を描くこともできたし、富も手に入った。しかし、又五郎は出て行ってしまったお石を迎えに行くことはなかった。
それは、今さら戻って来てくれとは言い出せないという男のプライドってやつか?それとも、もう戻って来ることはないだろうという諦めの気持ちからだろうか?