山本周五郎「留さんとその女」を読んで
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青空文庫で無料で読めます。(6,894文字)
せっせとお金を貯めても、女に騙されて失敗してしまう留さんのお話。
感想
留さんは、あえて醜い女を選んだのか?
留さんの新しい女について、外見も内面も醜い女であると表現されている。留さんは「そういった女であれば自分が騙される事はないだろう」と考えて、あえてそのような女性を選んだのかな??と思いました。
留さんの女とぎ州の関係
「おらあ何も云わなかった、女も何も云やあしねえ、何にも……名前を訊こうともしなかった、――ひでえ阿魔だ」
ぎ州という18歳の青年は女にモテモテである。上の台詞は、そのぎ州が留さんの女をこっそり見に行った時の感想ですが、これって、留さんの女を見てきただけではなく、男女の関係になってきたという事なのでしょうか??
この会話をしている時の周りの人達の様子も含め、そういうことなのかなと思いました。「ひでえ阿魔だ」という意味は「名前も聞かずに誰とでも関係を持つような軽い女だ」という意味で、「経験人数の多いぎ州でもさすがに驚いた」という事です。
どうなんでしょ??間違ってますか??
そして、留さんも、女のそういった部分を心配しているから、仕事で遠出した時も、わざわざ家に帰るのかな??と思いました。
ラスト
……しかし心のうちでは悲しく真面目な調子で呟いていた。
「おらあも、もうそろそろひと花咲かしてもいい頃だなあ」
「悲しく」という事は、留さんはまた騙されてしまった事に気付いたってことですかね??
留さんが騙されないようにするにはどうしたらよいのか?
この短編作品の初出は 1935年とあり、当時の男性の平均寿命は 47歳だそうだ。この物語の舞台が、もしも 1935年前後だとすると、もう結婚は諦めた方がよくないか?とも思います。
それでも留さんが結婚したいというのであれば、結婚相手を自分で選ぶのではなく、信頼できる人物に「紹介」してもらえばよいと思います。例えば、貯金を頼んでいる高梨の奥さんとか。留さんは、何回も騙されている事から、女を見る目がないようですので、その方が良いですよね。
教訓
この作品は「またもや女に騙されてしまった留さんの救いのなさ」を描いていると思うのですが、著者がこの作品を通して言いたかった事と、得られる教訓が何であるかがわかりませんでした。