山本周五郎「金五十両」を読んで
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青空文庫で無料で読めます。(12,017文字)
無一文になり、生きる活力を失ってしまった宗吉だったが、ある親子の生き様に触れて再び生きる活力を取り戻す、というお話。
読んだ感想
金じゃあない、金じゃあないんだ
「金じゃあない、金じゃあないんだ」
確かに金じゃないと思う。
しかし、感情としては「お金はお金で大事。大事というか、お金の苦労はしたくない」と思った。
宗吉は、武士の親子の生き様に触れて感動したようだけど、私はそこまで心が動かなかったです。その理由はたぶん「金じゃあない、金じゃあないんだ」と言いながらも、宗吉がお金を受け取っているから。お金を得た人が「お金じゃない」と言っても説得力がないように思う。それと、そんな簡単に大金が手に入る事なんてあるわけがない、と思ったから。おまけにお滝さんも手に入れたわけだし。
教訓
人の気持ちというのは不思議なもので、何かのきっかけでコロッと変わる事がある。例えば、この物語のように。だから、死のうとか思っても、本当に死んでしまうのはもったいないと思いました。人生捨てたもんじゃないってこと。
お滝さん
一文無しのほぼホームレス状況の宗吉にお金を工面してあげたり、おまけに(結婚を前提に?)付き合うとまで言ってくれたお滝さんが素晴らしい。宗吉は、武士の親子に感動する前にお滝さんに感動するべきだし、感謝するべき。
多様な価値観
何かのきっかけで人生や価値観がコロッと変わるかもしれないという事は、その「きっかけ」に成り得るものをたくさん集めておいた方が、その後の人生において助けになったり、有利になるのかもしれません。
「きっかけ」といっても、べつに特別なものである必要はなく、例えば、たくさんの本を読んだり、多くの人に会ったり、様々な場所に出掛ける…など。
そういった小さな体験でも、多ければ多いほど価値観が広がる可能性に繋がるので、その方がいいよね、って事です。
宗吉の場合は、今までに出会った事のない親子の生き様に触れた事で、自身の価値観が変化したのでしょう。
リドル・ストーリー
この話がリドル・ストーリーだったらどうだろう、と思いました。
お滝さんに促されてお金を届けに出掛けた宗吉が、後日、柏屋に帰って来る。そして、お滝さんに「かくかくしかじかで、お礼として金五十両をそのまま受け取って来た」と話すのです。果たして、宗吉の話は本当なのか?嘘なのか?で、話を終えるのです。どうでしょ?
読み終えた後に、ふと頭に浮かんだこと
村西監督のエピソード
村西監督のエピソードがふと頭に蘇りました。
謝金などで苦しんでいた村西監督が親族の見舞いで病院を訪れた時のこと、怪我人や病人の苦しむ姿や頑張っている姿を見て「自分は手足も自由に動かせるし、彼らに比べれば自分なんかまだまだじゃないか」と「生きる勇気が湧いてきた」と語っていたのを思い出した。
何かのきっかけでコロッと変わる、という事で思い出した作品
東野圭吾さんの短編集「素敵な日本人」の中の「正月の決意」という作品や「ベロニカは死ぬことにした」も、この作品と同じように、何かのきっかけで生きる活力を取り戻す、という点が同じだと思いました。
最後に一言
――ところで宗吉は、お礼が貰えなかったとしても、同じような気持になっただろうか??