山本周五郎「鼓くらべ」を読んで
更新日: 2022-03-29 12:12:09
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青空文庫で無料で読めます。(8,748文字)
小鼓の稽古に励んでいたお留伊だったが、ある老人に出会ったことで、鼓くらべを辞退することにした。
感想
小鼓を打たせては竜虎と呼ばれていた観世市之亟と思われる老人は「すべての芸術について、人と優劣を争うことなどお止めなさい」と語った。
老人の語っていることは理解できるし、その通りだと思います。
だけど、感動とか、驚きとか、心が打たれるというような湧いて出てくる感情はなかった。小説というよりも自己啓発本に近いような気がしました。(そう感じたのは、私に何かが足りないから?)
自身の腕を折った観世市之亟の気持ちが、私には理解できませんでしたが、それくらい真剣に取り組んでいたということでしょうか。でも、それだけ真剣なのであれば、逆に最後まで続けてほしかった。(これも、私に何かが足りないから老人の気持ちが汲み取れないのかも?)
人と優劣を争うこと
遊びや趣味であれば、競争せずに自分のペースで好きなようにやった方が楽しいと思います。
しかし、仕事であれば競争せざるを得ません。
この物語の時代でも、音楽や絵などで生計を立てている人がいるはずです。もしも、人と競うことがよろしくないということになると、そういった人達を否定することにはならないのか?とも思いました。
なぜ、芸術について人と優劣を争うことはよろしくないのでしょうか?
劣等感やストレス?
人と優劣を争うことは、他人と自分を比べることでもあると思います。すると、その結果として、劣等感やストレスを感じてしまうのであればマイナスです。だから他人との比較は止めましょう、ということなのでしょうか?
それはそれでそうかもしれませんが、この老人が言っているのは、それとは違うような気がします。
つまらなくなってしまうから?
芸術は楽しむものです。その芸術を人との争いの道具にしてしまうと、勝つことが目的になってしまい、楽しむことに対する余裕が失われて、つまらなくなってしまうからでしょうか?
これも、それはそれでそうかもしれませんが、この老人が言いたかったことではないと思います。
芸術は人を打ち負かすための道具ではないから?
「芸術は人を打ち負かすための道具ではない」という芸術への取り組み方・考え方から、優劣を争うべきではないと言っているのでしょうか?
「そういう考え方だから」と言われてしまえばそれまでなのですが、これだと、何かが足りないような気がします。例えば、芸術を人を打ち負かすための道具に使ったとしたら、どうなるのでしょうか?何かデメリットがあるのでしょうか?
この考え方は、ただの損得勘定ですね。これも、この老人が言いたかったことではないと思います。
芸術論・価値観
すべて芸術は人の心をたのしませ、清くし、高めるために役立つべきもので、そのために誰かを負かそうとしたり、人を押退けて自分だけの欲を満足させたりする道具にすべきではない。鼓を打つにも、絵を描くにも、清浄な温かい心がない限りなんの値打もない。
上記は老人の言葉です。私は、人と優劣を争うことがなぜいけないのかについて、損得勘定・メリット・デメリットという視点で考えてしまいました。
しかし、この老人が言っていることはそうことではなくて「人を打ち負かそうとしているような気持ちで取り組んだ芸術に価値はない」ということをおっしゃったわけです。
芸術というのは、人に勝つ為の道具ではなく、自分を高める為のものであり、人も自分も楽しむ為のもの。
損得勘定ではなくて、価値観の問題です。
あ、なるほど!と納得しました。