江戸川乱歩「一枚の切符」を読んで
更新日: 2022-03-23 07:02:54
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青空文庫で無料で読めます。(14,025文字)
列車に轢かれた富田夫人は自殺だったのか?それとも他殺だったのか?残された証拠から警察は夫の富田博士を逮捕する。しかし、左右田青年は自殺であったと推理する。果たして、真相は…。
感想
「憎むべき相手に殺人の罪を着せ、自分は自殺する」という部分で、東野圭吾さんの短編集「素敵な日本人」の中の一つである「クリスマスミステリ」という作品を思い出しました。
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「重い物を担いで歩いたと思われる足跡」と「線路枠に落ちていた石」という証拠から「石を担いで歩いたのだな」と誰もが想像するだろう。つまり、富田夫人による「憎むべき相手に殺人の罪を着せ、自分は自殺する」であると推理できる。だが、この物語で重要なのはそこではなく、左右田青年による推理が「本当なのか?」ということだ。
左右田青年の話は全て真実なのか?
以下は、作品の最後の部分である。
「例のPL商会の切符だが、あれだってだ、例えば、問題の石塊の下から拾ったのではなく、その石のそばから拾ったとしたらどうだ」
左右田は、よく呑込めないらしい相手の顔を眺めて、意味ありげにニヤリとした。
左右田青年の推理は筋が通っている。しかし、上記を読む事で「実は嘘が含まれているかもしれない」という疑惑が発生するわけです。左右田青年は、富田博士を尊敬しており、何が何でも無罪にしてあげたいとの理由から嘘をつく可能性は考えられます。ここがこの作品のポイントですよね。
切符以外でも左右田青年が嘘をついているかもしれないと考えると、例えば「足跡が片道分しかない事」や「犬の足跡」の件は真実なのでしょうか?
これらの件は左右田青年の口から語られましたが、それが警察の現場検証から得られた情報なのか、それとも左右田青年が独自の調査で収集した証拠なのかがハッキリと書かれていません。なので、モヤモヤが残りました。
もしも、後者であるなら「左右田青年が事件後にでっち上げた証拠かも?」と想像することもできます。しかし、後からでっち上げた証拠だと、その証拠が事件の発生直後から存在していたと証明することができません。
そのような証拠で富田博士の冤罪を証明することができるはずもないので「足跡が片道分しかない事」や「犬の足跡」の件は、警察の現場検証から得られた情報であり、事実であるという前提で考えることにしました。
富田博士が犯人だと考えると…
富田博士が犯人とは言い切れない…。
足跡
富田博士が「足跡が残っても問題ない」と考えたのであれば、帰路も同じルートを通ればよいはずです。逆に「足跡を残したくない」のであれば、雨上がりの後に犯行をするとは思えません。そう考えると、片道しかない足跡は不自然であり、富田博士が犯人ではないという方向に考えが及びます。
しかし「足跡が残っても問題ない」と考えて夫人を線路まで運んだが、人影を感じたなどの理由から線路づたいに遠回りしてから帰宅した可能性もなくはないです。この場合は、富田博士が犯人かもしれない、と考える事ができます。
つまり、犯人か犯人でないか、どちらも有り得るわけです。
左右田青年の推理どおり、夫人による偽装工作だと考えると…
左右田青年の推理を証明することは難しいような気がします…。
石の存在
線路脇に石が置いてあったと語っている左右田青年ですが、それは本当なのでしょうか?現場検証の際、警察は「線路脇に置いてあった石」について関心を示さなかったようですが、だとすると、現場検証の記録に「石」の存在が書かれていないかもしれません。(左右田青年の話によると、石は線路枠に置いてあったものの、警察の規制線の外であったと語られている。だとすれば、規制線の外の状況なんて記録してないと思う)
左右田青年は、富田博士を強く尊敬しているようですから、博士の無罪をでっち上げる目的で事件後にこっそりと石を置いた可能性も考えられます。でもまあ、石は確かに存在していたとして、その石は夫人が運んで来たと証明できるのでしょうか?
それを証明できるのが「切符」なわけですが…
切符
私は最初、切符は電車の窓から捨てられたのではなく、犯人が石を置いた際に犯人のポケットから落ちたのかと思いました。
また、電車の窓から切符が捨てられたとしても、その切符が事件現場に落ち、しかも、その上に石が置かれるというのは、何だか偶然すぎるというか、都合が良すぎる気もします。
あるいは、切符の持ち主は、左右田青年では?とも想像しました。
石は夫人が運んだのか?
「石の下に切符が挟まれていた」ことを証明する事はできません。だって、もう石の下から取り出してしまったのですから。証明することができないということは、石は夫人が運んだのではなく、ずっと以前からそこにあった可能性もあるわけです。
富田博士に女がいることを知っていたのか?
富田博士に女がいると明かしたのは左右田青年であるが、なぜ、富田博士の個人的な情報を知っているのか不思議だし、そもそもそれは本当なのか?ということもある。でもまあ、調べればわかることなのでしょう。
では「富田博士に女がいること」を夫人は知っていたのでしょうか?夫人は肺結核なので、自殺の動機はあるかもしれないが、夫の女について知らなかったのなら、富田博士に罪を着せる理由がありません。
左右田青年は、富田博士に女がいることを夫人が知っていたと証明できるのだろうか?もし、証明できないのであれば、夫である富田博士による犯行の疑いが強くなるのではないか。
博士の靴
靴紐どうしが結ばれていたことから、犬に銜えさせて靴を運ばせたという推理であるが、その可能性は考えられるが、だからといって絶対にそうだとは言い切れない。
左右田青年が事件現場に居たのは不自然ではないか?
左右田青年は、事件が起きた町に遊びに来ていたそうだが、これはまだいい。おかしいとは言い切れない。しかし、富田博士の自宅付近を散歩していたのは不自然ではないか?しかも、左右田青年は富田博士をかなり尊敬しているようだし。こんな偶然ってあるのだろうか?
事件のその後
決定打がないと思うので「富田博士が犯人」と考えることもできるし「夫に罪を着せた自殺」と考えることもできます。しかし、状況証拠から警察は富田博士が犯人であるという考えを変える事はないと思います。
左右田青年の推理は素晴らしいですが、それを証明することは非常に難しいと思いました。なにしろ「切符」が本当に石の下に挟まれていたのかを証明することができないわけですから。
左右田青年が新聞広告を打った理由には、富田博士の冤罪を証明するのが難しいとの考えもあって、世論を味方につけたかった、というのもあったのではないでしょうか。