カズオ・イシグロ「日の名残り」(六日目 夜)を読んで
更新日: 2021-10-12 12:26:59
ミス・ケントンとの再会
ミス・ケントンと再会したスティーブンス。懐かしさと嬉しさでいっぱいになったことでしょう。会話も弾んで楽しい時間を過ごすことができました。しかし、あっという間に二時間が過ぎ、ミス・ケントンが帰る時間になってしまいます。
スティーブンスは、ミス・ケントンを村外れのバス停まで車で送ってあげることにしました。ミス・ケントンが車に乗り込む時に大きな水溜まりがあり、スティーブンスは手を貸してあげます。それは、初めてミス・ケントンに触れた瞬間だったのでしょうか?スティーブンスは内心ドキッとしたのかもしれませんね。
ミス・ケントンからの手紙を読んで「不幸になっているのではないか」と感じたものの、どうやら彼女は幸せな結婚生活を送っているようでした。なので、再びダーリントン・ホールで働いてもらう事は難しそうだと悟ったのでしょうね。
切ないバス停での別れ
手紙を読んで、もしかして不幸になっているのではと感じたことを改めてミス・ケントンに尋ねてみると、彼女は告白した。
本当はダーリントン・ホールを辞めるつもりはなく、結婚も乗り気ではなかった。全てはスティーブンスを困らせたくてのことだったと。今は夫を愛しているが、最初の頃は愛すことはできなかった。そして、今の主人ではなく、スティーブンスと人生を歩んでいたら...という後悔の気持ちもあったのだと。
やっぱり、ミス・ケントンもスティーブンスの事が好きだったのですね。
切ないシーンです。
涙ぐむミス・ケントンに優しい言葉をかけて見送るスティーブンス。
今回も自分の感情を表に出さなかったけど、今回はそれで良かったと思う。今さら自分の気持ちを伝えたらミス・ケントンの家庭を壊しかねないし。
自分で選んだ選択なのだから仕方がないのかもしれないけど、それでも色々な思いが涌き出てきて胸が張り裂けそうになったんだろうな...もう二度と会うこともないかもしれないし...
別れの言葉でこのシーンは終わるけど、遠ざかるバスが見えなくなってもしばらくそこに立ち尽くしていたのだと想像しました。そして寂しくもあり切なくもありジーンとして泣きそうになります。
桟橋のベンチで陽が沈む海を見つめるスティーブンス
ミス・ケントンと再開してから2日間が経ちました。今は夕方で、桟橋のベンチに座って海を眺めています。そして、もうすぐ桟橋がライトアップされる時間です。
ベンチで会話した初老の男に対し、
「おっしゃるとおり、私はお屋敷と込みでございます」
スティーブンスなりのジョークでしょうか。今までで一番うまいですね。自虐的ですが自分自身をうまく表現しています。
たとえ後悔しても...
バス停での別れの際、ミス・ケントンの言葉
「もしかしたら実現していたかもしれない別の人生を、よりよい人生をーーーたとえば、ミスター・スティーブンス、あなたといっしょの人生をーーー
(省略)
結局、時計をあともどりさせることはできませんものね。架空のことをいつまでも考えつづけるわけにはいきません。人並みの幸せはある、もしかしたら人並み以上かもしれない。早くそのことに気づいて感謝すべきだったのですわ」
バス停での別れの際、スティーブンスの言葉
「さよう、ミセス・ベン、私どもは、みな、いま手にしているものに満足し、感謝せねばなりますまい」
二人の会話にもあるように、人生において後悔することはあるかもしれないが、もしそうだとしても 今に感謝して生きていくべき だし、そうすることで幸せに生きていけるのでしょう。
桟橋で涙を流しているスティーブンスに言葉を掛ける男
「いいかい、いつも後ろを振り向いていちゃいかんのだ。後ろばかりを向いているから、気が滅入るんだよ。
(省略)
わしを見てごらん。隠退してから、楽しくて仕方がない。(省略)必ずしももう若いとは言えんが、それでも前を向きつづけなくちゃいかん」
この男は既に仕事を引退している。見たところ裕福そうには見えないし、いくつかの持病を抱えていて病院にも通っているようだ。それでも 毎日が楽しいと思える ということが幸せなのではないでしょうか。
https://www.youtube.com/watch?v=vvH4LiNFHPw
美輪明宏さんもそれと同じような事を話しておられました。(4分49秒)
桟橋のベンチで海を見つめるスティーブンス
あのときああすれば人生の方向が変わっていたかもしれないーーーそう思うことはありましょう。しかし、それをいつまでも思い悩んでいても意味のないことです。私どものような人間は、何か真に価値のあるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がいたします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうであれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚えてよい十分な理由となりましょう。
自分の人生を振り返った時、ああすればよかったというのは多かれ少なかれ誰にでもありますよね。
ミス・ケントンとのことは残念だったかもしれない。しかし、当時は当時で執事として一生懸命生きてきたのだし、また、そういう生き方しかできなかったのだから。
「悔いることはない。それで十分ではないか」と考えるしかないし、その方が幸せです。
がんばれ!スティーブンス!
明日からは、気持ちを新たにしてまたジョークの練習をしてみようというスティーブンス。小さなことかもしれないけどそれでいいと思う。出来ることからコツコツと。
がんばれ!スティーブンス!