伊坂幸太郎「終末のフール」を読んで
更新日: 2022-02-06 11:59:38
小惑星が地球に向かっており、人類は滅亡するしかないらしい。衝突までに残された時間はあと3年。「人生をどう生きるか」を考えさせられる短編集。
終末のフール
父親と喧嘩をして出て行った娘の康子が、10年ぶりに両親の住む団地に帰って来る、というお話。
どうやら父親は二人の子供と良い人間関係を築けなかったようだ。その理由は、残念な父親にある。自分の価値観でしか物事を捉える事ができず、家族であっても平気で小馬鹿にする。おまけに頑固者で自分から謝る事もできない。せめて、自分から謝る事ができる人であれば、もっと違った家族関係を築けていたのではないか。
娘の康子は大人になるまで父に対する不満が言い出せなかった。その為、父に対してやっと言い出せた時には、既に父親との間に大きな溝ができてしまっていた。そのような手遅れにならないように、小さい頃からお互いに言いたい事が言える人間関係を構築するべきで、この物語のような高圧的なの父親になってはならない。
父親は、妻の静江への接し方も高圧的であるが、奥さんがマイペースな人でなければとっくに家族は崩壊していたかもしれない。
娘が指輪をしていたことから結婚しているのだろう。しかし、その事を少なくとも父親には報告していないようだ。(娘の連絡先を知っているくらいだから、妻の静江は知っていたかも?)。娘は父を許すと話したが、親子の溝を修復するには時すでに遅しであり、難しいような気がする…。
今の父親にできる事は、自分にはもう妻の静江しかいないという事に気付き、大切にしてあげること。それは父親自身の為でもある。
太陽のシール
妻が妊娠したものの、地球滅亡まであと3年。それでも子供を生むべきか?優柔不断な夫のお話。いのちについて考えさせられる短編。
物語のケースだと、やっぱり生むという選択ですかね。小惑星が激突しなくても人間はいつか必ず死ぬわけなので…。ならば生まない理由はないとも思う。
では、妊娠したとして、その子に重大な障がいが発見されたらどう判断するだろう?そんな事を考えたら、気分が重くなってしまった。
物語のラストで、妊娠した子供が双子かもしれないという事が判り、ほんわかとした気分になった。
籠城のビール
執拗な報道によって家族を亡くしてしまった兄弟が、報道した一人である元アナウンサーの自宅に押し入り復讐を果たそうとする、というお話
復讐の為に殺してやるという兄弟に対し、元アナウンサーは家族全員で死ぬつもりだった。それならば、生きて苦しめと兄弟は言い放つ。いったい、生きるのと死ぬのとどちらが辛いのか?そんな事を考えた。
「いかに愉快に生きるかだ」
という言葉が印象的であり、これが答えだと思う。反省すべき事は反省しなければならないが、それ以外については、どんな状況であれ楽しく生きる道を模索するべきなのだ。
個人的に共感できなかった部分は、兄弟の憎しみをぶつける相手が、報道業界や報道関係者全員ではなく、杉田という元アナウンサーだけに向けられた事と、執拗な報道をしてしまった事を後悔して自殺を選ぶ元アナウンサー。
冬眠のガール
恋人探しをする田口美智のお話。この短編のテーマは、パートナーは必要か?って感じでしょうか。
「週末のフール」の香田夫妻が登場した。夫婦の関係が少しは改善し、仲良く?散歩でもしていたのでしょうか。
高校時代のバスケ部の太田君は、どうやら美智の事が好きだったようですね。そう感じた部分は、電車に乗り遅れた美智を仙台駅で待っていてくれたり、母親との会話で美智の話題が多かったり、美智に見せる為に望遠鏡を用意していたりとか。
「何だか、万馬券を当てた気分です」
これは、太田君が子供を助けた事を指しているのだろうか?それとも、太田君が自分に想いを寄せていた事に気付いたからだろうか?彼女は鈍感っぽいから前者の方かな?
マイペースで少々鈍感?でもあるのだが、独特の雰囲気のある美智がとても好印象。
読んでいて心地が良くなるのは、そんな彼女のせいだろう。
鋼鉄のウール
キックボクシングのジムに通う16歳の少年のお話。何をするべきか?というのがテーマでしょうか。
苗場さんの印象的なセリフ
「何戦何勝何敗とか、あんまり意味がないんです。だいたい、勝ち負けって、試合の結果だけじゃない。試合を観終わった観客の気持ちとか、俺自身の気持ちとか、そういうのも含めて、勝たないと」
(練習が)「嫌で嫌で仕方がないですよ。あんな苦しいこと好きな奴、いないです」
(それでも練習するのは)「俺は、俺を許すのか?って。練習の手を抜きたくなる時とか、試合で逃げたくなった時に、自分に訊くんです。『おい俺、俺は、こんな俺を許すのか?』って」
(キックしかできないよねと言われ)「ローキックと左フックができて、それと、客を夢中にさせられれば、他に何がいるんですか」
結果は大事かもしれないが、そこに辿り着くまでの過程が大事である。仮に、結果がダメでも、その時に自分自身が行ってきた過程に納得ができればよいのである。
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」
「できることをやるしかないですから」
明日死ぬとしたら○○をするという事は、本当にやりたい事、やるべき事をやっていないという事になる。死ぬ死なないに関係なく、本当にやりたい事、やるべき事をやっているのなら、いつ死のうがやる事は同じはずである。そして、やりたい事、やるべき事が今はできないとしたら、その時点で自分のできる事をやる。それだけだ。
天体のヨール
妻を殺した犯人を殺して復讐を果たした矢部は、自殺することにした、というお話。
生き続けるべきか?というのがテーマでしょうか。
「冬眠のガール』の美智が登場
「出会っちゃったんです」
このセリフが美智の性格をよく表現しており、とても印象的。どうやら、恋人が見つかったようですね。とても幸せそうで楽しそうで、明るい気分になります。
友人の二ノ宮の言葉
「こんな時、命があるだけでも幸運なのに、わざわざ自分から死のうとする人なんてさ、勝手にしろ、って感じだよ」
ラストシーン。自作の簡易望遠鏡で月を見た後、矢部は首を吊るのだろう。だが、不思議と悲しいとか悪い気分にはならなかった…。
生きていれば、良いこともあるかもしれないが、それは本人もわかっているだろう。それでも、矢部がそうしたいという事ならば、そうさせてあげるのも一つの選択肢ということか。
人はなぜ生きなければならないのか?
演劇のオール
近所の住人達と疑似家族のように交流する倫理子のお話。家族は必要か、というテーマでしょうか。
「天体のヨール」の矢部さんを「最近見かけないね」と触れられていますが、やはり矢部さんは首を吊ってしまったのだろう。矢部さんの姿を想像してしまった。
倫理子が近所の住人達と疑似家族のように交流しているのは、一人でいる事の寂しさを埋める為か。一方で、疑似家族になったものの、相手の役に立っているのだろうかという思いや、誰かを失い一人になってしまう恐怖も抱えていた。しかし、自給自足で世間から距離を置いて暮らす元俳優のインド人を見て、細かい事はどうでもいっか、という気持ちになった。と、受け止めたのですが、それで合ってますかね??
深海のポール
レンタルビデオ店を営む渡部さんのお話。最終話。
この話は「みっともなくても、かっこ悪くても、とにかく生きろ」という著者からのメッセージだと感じた。
マンションのベランダから空を見上げているシーンでは、各短編の登場人物にも触れる事ができる。
香取さん夫妻の部屋に娘さん夫婦と子供が訪ねてきているようだった。一緒に暮らす事になったのかな?あるいは一時的に帰ってきただけなのかな?いずれにしても、香取さんは、娘さんとの溝を埋める事ができたようです。(予想外でした)
他にも、妊娠中の桜庭夫妻、美智と彼氏も登場し、それは「みんな別々に生きているが、それでもどこかで繋がっている」という事を表現しているのだと思った。
鋼鉄のウールの二人と思わしき人物も相変わらずトレーニングに励んでいるようだ。
地球最後の日、みんな居なくなってしまうのかと思うと、ちょっぴり寂しくなってしまったが、同時に、一日一日を「今日も生きた!」と感じられるようにしなくては、と思った。